歴史

歴史

明福寺は江戸時代の初め、元和元年(1615年)了順法師によって江戸桜田郷に開かれたと伝えられています。その後再三転地をし麻布三谷町から、三田中寺町、現在の三田南寺町 (港区三田四丁目四-十四)に第八世慧燈法師が建立をしています。
現在の本堂は棟札によると寛政十一年(1799)に再建され、現在の庫裏は平成四年に建築したものである。
江戸時代の書物「御符内社寺備考」によれば、〔京都東七条本願寺末芝三田中寺町、中根山明福寺、妙厳院天拝領地三田中寺町〕と記録されている。また同書に、本尊阿弥陀如来木像(元和元年・一六二三)、親鸞聖人絵像、蓮如上人絵像、聖徳太子絵像、七高僧絵像、六字名号(蓮如上人筆)等が寺物として寺社奉行書上となっている。
三田四丁目の寺町に位置。「御府内社寺備考」によると元和元年(1615)に「桜田付近」に起立、寛永元年(1624)に「麻布今井三谷町」に移転後、現在地には天明元年(1781)に境内を構えるようになった。
通りに面して、門、その奥に本堂が北面して立地し、左手に庫裡(建替)が接続する。本堂裏手(南側)には墓地がひろがる。本堂は間口5間、奥行き5間半の規模で外壁を塗り込めた土蔵造りである。寄棟造桟瓦葺で、向拝が葺き下ろされる。
中略 内陣、外陣境界の3つの欄間には獅子と牡丹の彫刻が施され、両余間と外陣堺には、唐獅子が描かれた襖絵がはめ込まれている。
(注・襖絵は江戸狩野派の作といわれ、港区の指定文化財となっている)
「社寺備考」には寛政11年の棟札写しが記載されており、棟札は現在も小屋組に打ち付けられているという。絵図に描かれた本堂規模も現存するものに一致する。中略 外陣内部及び向拝に関しては明治以降に改修が施されたことが推察される。
明福寺創建が元和年(1615)と伝わっているが、この年を歴史年表で見ると1603年に江戸幕府ができ、1615年には大阪夏の陣で豊臣方が滅ぶころである。
明福寺の歴史400年となる。また本堂ができた寛政11年は松平定信の寛政の改革が終わったころであり、江戸の大火にも、関東大震災にも、戦災をもくぐりぬけ、この地に立ち続けてきた本堂である。